3月3日(土)、阪神ワイン祭に行く前に、大阪城梅林を観てきました。
さすがに土曜日とあって非常に賑わっていました。
定番のピンクの花から白や緑色のもあります。
全部で97種、1240本と、品種の多さは西日本随一だそうです。
毎年、梅林入口付近でアルパを弾いているアミーゴもやはりいました。
メキシコの方かと思っていましたが、ペルー人でセルソさんというお名前。
無愛想な感じですが、音色はとっても素晴らしいです。1枚2,000円でオリジナルCDも売ってらっしゃいます。
おでんや五平餅を食べながらのお花見は最高ですねえ。
梅の植木も売っていて、買いはしませんが欲しくなります。いずれ植木や庭木も勉強して育てたいです。
梅林全体では5分咲きといったところです。この日の2日前、3月1日(木)に大阪の梅は開花宣言を迎えたばかりなのです。大阪管区気象台指定の観測用標準木も見つけましたが本当に咲き始め。この標準木に数輪が花開いた時点で開花宣言されるそうです。昨年より8日遅い開花で、例年より19日も遅かったとのこと。今年は寒かったですものねー。
私は小学生時代、梅林の横の坂をよく自転車で駆け下りて遊んでいて、勾配のきつさから友達と「地獄坂」と呼んでいましたが、正式には「市正曲輪(いちのかみくるわ)」という坂です。豊臣時代に片桐市正(いちのかみ)且元の屋敷があったそうです。
江戸時代には城内警備に当たる大番職を助勢する加番職のための三つの屋敷(加番小屋)が南から順に立ち並んでいた場所で(戊申戦争時に全て焼失)、明治期から太平洋戦争終結時までは全域が陸軍関連の施設となっていたそうです。 戦後は梅林が造成されるまで運動場に整備され、主に大阪府警機動隊の訓練場として使われていたけど、戦後すぐの頃には自動車訓練所として使われていた時期もあったとのこと。
その後、1972(昭和47年)10月、大阪府立北野高校(旧制北野中学)開校100周年事業の一環として同校の同窓会(六稜同窓会)より大阪市に寄贈された梅の木を元に梅林が造成され、1974年3月に開園したのが始まりで、まだ38周年と梅園としての歴史は浅いそうです。
大阪城公園一帯には、戦争終結までアジア最大の軍事工場、大阪砲兵工廠や陸軍第四師団司令部庁舎があり、負の歴史と遺構も多く残されているのですが、今やアジアからの方が多いのではと思うほど、たくさんの観光客が訪れる平和でのどかな場所となっています。そうした過去の歴史を振り返ると、この梅たちも一段と美しく見えてきます。
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大阪城梅林が見頃を迎えました
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